太宰府の歴史2 ~年表~

太宰府を中心とした年表をご紹介します。

大宰府がいつ頃建設されて、菅原道真がいつやってきたかなどの太宰府の歴史が一目で分かります。

年表

西暦時代世界太宰府(九州)備考
645飛鳥中大兄皇子なかのおおえのおうじと中臣鎌足が蘇我入鹿・蝦夷を殺害し、大化の改新を行う
660唐と新羅により百済滅亡
661斉明天皇(第35&37代)、子の中大兄皇子と共に百済支援のため筑紫に到着する
斉明天皇崩御斉明天皇を弔うために観世音寺建立(完成は80年後)
中大兄皇子なかのおおえのおうじが指揮を引き継ぐ
663白村江の戦いで、日本軍大敗
664唐・新羅の日本侵攻に備える
水城みずきを築城
665大野城を築城
博多湾近くにあった筑紫大宰を現在の大宰府政庁跡に移転
668中大兄皇子が天智天皇に即位(第38代)
676新羅が朝鮮半島を統一
唐・新羅と国交回復
689飛鳥浄御原令の施行左記施行により筑紫大宰府の成立
701大宝律令制定・施行左記施行により筑紫大宰府以外の大宰府の廃止。以降大宰府と言えば筑紫大宰府のこととなる
710奈良平城京遷都
728大伴旅人が大宰府に大宰の帥として赴任
729長屋王の変(藤原四兄弟により長屋王が抹殺される)大伴旅人の屋敷で梅花の宴が開かれる
令和の語源となった和歌が詠まれる
(屋敷は大宰府政庁跡近くの坂本神社付近と推定される)
730大伴旅人が大宰府から帰る
731大伴旅人が亡くなる(67才)
746観世音寺完成
759万葉集が作られ始める万葉集で柿本人麻呂や山上憶良が大宰府のことを「遠の朝廷とおのみかど」と詠んでいる
また、万葉集内の和歌全20巻4,500首以上のうち、筑紫で詠まれたと思われる和歌は320首ほど入っている
761観世音寺に戒壇(現在の戒壇院)を設置
794平安平安京遷都大宰府は左遷先として選ばられることが多くなる
803竈門山かまどやま(別名宝満山、御笠山)に最澄が航海(遣唐使)の無事を祈って仏像作成やお経を読む
847円仁が唐から帰国して竈門山大山寺でお経を読む
894菅原道真の提案で遣唐使が廃止される役割が希薄になり、大宰府衰退が進む
897醍醐天皇即位(60代)。以降34年を「延喜の治」と呼ぶ。
901昌泰の変にて、藤原時平や多数の貴族が菅原道真を失脚させる。(59代宇多天皇の政治的影響力を削るための謀略との説が有力)菅原道真が大宰府に左遷される
903菅原道真が死去する(59才)
菅原道真の亡骸を安楽寺(現在の太宰府天満宮)に葬る
都で疫病や異常気象が流行る。道真の祟りとされる。
908藤原菅根が落雷で死亡する。道真の祟りとされる。
909藤原時平が死亡(39才)。道真の祟りとされる。※家単位で仲良かった説あり
913源光が泥沼で溺死。道真の祟りとされる。
919道真の祟りを鎮めるため、墓所を増築されて安楽寺天満宮となる
923醍醐天皇の第2子で皇太子保明親王が死亡(21才)。道真の祟りとされる。
925保明親王の子供で皇太子慶頼王が死亡(5才)。道真の祟りとされる。
930清涼殿落雷事件で、藤原清貫など位の高い貴族が落雷で死傷者が出る。道真の祟りとされる。
醍醐天皇が数々の心労から崩御される。
941藤原純友の乱が起きる藤原純友によって大宰府が焼き払われる
947北野社に菅原道真を「天満大自在天神てんまんだいじざいてんじん」という神様として祀り、以降北野天満宮となる。
1158平清盛が大宰大弐に就任して、日宋貿易で大儲けする(平清盛は大宰府には来ていない)
1185鎌倉源頼朝が平氏を滅ぼす
1274元寇(1回目文永の役)でモンゴル帝国が襲来する(蒙古襲来)壱岐・対馬は壊滅
博多湾で陸上戦開始
水城まで撤退
神風が吹いて壊滅的な損害が出たので撤退・・・というのは事実とは異なる模様。11月だし。
損害が大きくなって船で撤退していた途中で、大風に見舞われたのが正しそう
1281元寇(2回目弘安の役)でモンゴル帝国が襲来する(蒙古襲来)壱岐・対馬がまた壊滅
志賀島の戦いで竹崎季長が参戦
7月だったので、本当に台風に遭遇して大損害を被る
台風の損害が元で撤退し、追撃戦でも日本軍が大きな打撃を与える
1336室町足利尊氏が室町幕府を開く足利尊氏が後醍醐天皇配下の軍勢に敗北して一時大宰府に身を置いたことがある
南北朝の動乱
1338足利尊氏が征夷大将軍となる
1568安土桃山織田信長が京都に入る
1602黒田官兵衛(如水)が太宰府天満宮にて福岡城完成までの2年程度過ごす
1603徳川家康が征夷大将軍となる
江戸時代は「さいふまいり」と呼ばれる、庶民による太宰府天満宮への参拝ツアーが盛んに行われていた
1863八月十八日の政変にて、京都で薩摩藩が尊皇攘夷派の公家や長州藩を追い出す
1865京都を追放された三条実美ら七人の公家(七卿落ち)のうち五卿が、安楽寺天満宮の延寿王院で生活する
五卿との密談のために、長州藩(木戸孝允、高杉晋作、伊藤博文など)、薩摩藩(西郷隆盛)、坂本龍馬、中岡慎太郎、江藤新平らが安楽寺天満宮の延寿王院を訪れる
1868明治戊辰戦争勃発
明治政府から神仏分離令が出る「安楽寺」が廃寺となり「太宰府神社」に改める
各地で廃仏毀釈の流れが起き、仏像や経典が燃やされたり廃棄される
1912大正
1926昭和
1947現在の「太宰府天満宮」に名前を変更する
1989平成
2019令和大伴旅人が詠んだ歌から「令和」の元号が生まれたということで、大宰府政庁跡、坂本神社に人気が集まる
鬼滅の刃ブーム宝満山の竈門神社が鬼滅の刃の聖地として巡礼客が急増する
太宰府年表

参考資料

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